
教科書のない教科で、僕らは何を頼りに体育をしているのか
― 授業てらす・体育チームリーダーとしての想い ―
体育は、他教科と決定的に違う点があります。それは教科書がないということです。
「何を教えたらいいのか」
「どうなったら“できた”と言えるのか」
「子どもは、どうすれば上達するのか」
多くの先生が、ここで立ち止まります。そしていつの間にか、
・とりあえず試合をする
・とりあえず跳ばせる
・とりあえず技をやらせる
そんな体育になってしまうのは、先生の力量不足ではなく、拠り所がない教科の難しさ、学校での頼る場のなさが原因だと思っています。
教師が楽しくない体育は、子どもも楽しくならない
先生自身が体育を楽しめていないと、子どもも楽しくありません。
・何を工夫したらいいかわからない
・失敗したら怖い
・安全面が気になる
・得意なだけが楽しまないように変なルールを考える
・気づけば技中心の授業なっている
そんなことばかりを考え、教師自身が体育を考えることが楽しくなくなってしまう。少しでも楽しい活動を使用して、ネットやSNSで楽しい活動を探し、そのまま使ってしまう。
手段より先に、目的を考える
体育で一番大切にしたいのは、この2つです。
• この運動(種目)には、どんな力が必要か
• この運動を通して、どんな力を身につけさせたいのか
ここが明確になると、教材研究は一気に変わります。
「楽しい活動を探す」のではなく、目的に向かう過程として、自然と楽しい活動が生まれる。試合でうまくいかないのも、技ができないのも、
原因は“センス”ではなく、その土台となる力が育っていないだけかもしれません。体育チームでは、
「じゃあ、その力って何?」
「どうやったら身につく?」
を、ひたすら話し合っています。
主体的に動いている ≠ 主体的な学び
体育は「主体的に参加しているように見える」教科です。
でも実際は、
• ルールは全部教師が決める
• 環境も教師が設定する
• 子どもに選択肢がない
そんな場面も多い。
「得意な子だけが楽しまないように」と教師が全部用意してしまう。でも本当は、そこも子どもと一緒に考えていい。
体操系の学習も同じです。教師が「上手くなるための道」を敷くのではなく、子どもが
・どこで
・何を
・どうやって
挑戦するかを選べる場をつくる。
主体的になる場は、自然には生まれません。
教師が意図して、設計するものです。
今、体育が担う役割は大きくなっている
ゲームやスマートフォンが普及している今、子どもたちは二極化しています。
• 運動系の習い事をし運動が得意で、運動が好きな子
• ゲームばかりでほとんど体を動かさないので、運動が苦手で、運動が嫌いな子
後者の子にとって、体育が唯一、全身を使って動く場になっていることも少なくありません。
運動は
・体力面
・脳の発達
・成長ホルモンの分泌
どの視点から見ても、子どもの成長に欠かせない。だからこそ、体育が「楽しくない時間」になってしまうのは、子ども成長の視点からしても致命的です。
体育チームで目指していること
授業てらすの体育チームでは、
• 子どもが楽しい
• 教師も楽しい
• 体育を通して「生きる力」を育てる
そのために、正解を押し付けるのではなく、悩みを持ち寄り、考え、語り合っています。
「体育、正直しんどい…」
「何をしたらいいかわからない…」
そんな先生ほど、一緒に考えたい。
一緒に、体育を考えませんか?
体育は、一人で抱えるには難しすぎる教科です。でも、仲間がいれば、見える景色は変わります。
体育で悩んでいる先生こそ、体育チームへ。一緒に、子どもと教師がワクワクする体育をつくりましょう。
