
「授業を見る」から「子どもを見る」へ
ある算数チームで起きた、8週間の記録
これは、フォーマンセル算数チームに参加した、二人の女性教諭の8週間の記録です。
新潟で小学校教諭を務める”はるぴょん先生”は、分数の授業に悩んでいました。「教師がしゃべりすぎる。子どもたちが受動的になっている」と、心のどこかでは気づいていた。
小学2年生を担任する”あっしゃ先生”は、「教科書通り、指導書通り、時間通り」に授業を進めることに必死でした。時間内に終わらないことが、いつも一番の悩みだった。
教科も、学年も、悩みの種類も違う二人が、同じチームで、8週間、お互いの授業を見せ合いました。
オリエンテーション ― まだ、授業は出さない
初回は、授業動画の共有はありません。自己紹介と、それぞれの”今の悩み”を語る時間です。
「授業をがんばりたい。子どもたちが生き生きと学ぶ授業をしたい」――はるぴょん先生の想いに、他の3人が静かに頷いた。あっしゃ先生も、「授業を流すことばかり考えていた自分を変えたい」と打ち明けました。
初めて、自分の授業を晒す
はるぴょん先生の1回目の授業――「分数と整数のかけ算、わり算」の授業動画を、チーム4人で見ました。
リーダーからの最初の言葉は、「良かったところ」から。それでも、フィードバックの中で見えてきたのは、自分でも薄々気づいていた3つの課題でした。
教師がしゃべりすぎている。
「教師→こども」の一方通行が多い。
教師が与えすぎて、子どもが受動的になっている。
“沈黙”を、怖がるのをやめてみた
次の週、はるぴょん先生は決めました。「発問したあと、自分から答えを言わない。子どもが考える時間を、待つ」と。
最初の授業では、教室が静まり返る沈黙が、5秒、10秒と続きました。心臓がバクバクした。でも、そのあと、一人の子がぽつりと呟いた。それが、次々に他の子の言葉を引き出していきました。
沈黙は、”間”じゃなかった。子どもが思考している時間だった。
“教科書通り”を、勇気を出してやめてみた
あっしゃ先生の週。「3けたの数」の授業で、教科書のめあて提示をやめる決断をしました。
問題の一部を□と下線で隠して、「どういうこと?」を子どもたちに投げる。子どもたちが数字を出し、それをもとに問題を作る。板書のスピードを、子どもの書く速さに合わせる。
結果、いつも時間内に終わらなかった授業が、なぜか終わるようになった。
子どもに合わせたら、時間が余った。逆だと思っていたのに。
“問い掛け”の質を、深めていく
はるぴょん先生の2回目の授業――「分数×分数」。「計算の積が大きい方が勝ち」というゲームを軸に、”かける数”と”積”の関係を子どもたち自身に発見させる授業を組み立てました。
この週の学びは、”教師の発問のクセ”についてでした。「〜してほしい」という要求を、「〜だと思う?」という問い掛けに変えるだけで、子どもの反応が明らかに変わる。
言葉一つで、子どもは主体にも受動にもなる。
子どもの言葉で、まとめが生まれた
これまで、授業の最後は必ず”教師のまとめ”で締めていた。教科書に書いてある通りの、正しいまとめを黒板に書く。それが「授業を終わらせる」ということだった。
でも、この週から、二人はそれをやめました。子どもたちが発言した言葉を拾い、繋ぎ、まとめを子どもたちと一緒に作る。
教師の型にはめない。子どもの言葉を紡いでいく。
“授業を見る”のを、やめた
あっしゃ先生が、この週のフィードバック会でこう言いました。「私、ずっと『授業を見て』いました。でも今は、『子どもを見て』います。ただそれだけで、授業が変わった」。
この一言は、はるぴょん先生の胸にも深く刺さりました。二人が、違う教材で、違う学年で、同じ地点にたどり着いていたのです。
「授業を見る」から「子どもを見る」へ。それだけで、全部が変わった。
8週間の学びを、言葉にする
最終回。二人は、8週間で自分に何が起きたかを、報告会で語りました。
以前より、授業に向き合えるようになった。
授業が、楽しくなった。
子どもの主体的な姿が、教室に増えた。
技術のリストが増えたわけではない。指導案が上手くなったわけでもない。ただ、”子どもを見る”という一点が変わっただけ。それだけで、教師としての毎日が、変わりました。
これは、フォーマンセルに参加した、二人の女性教諭の8週間の記録です。
教科も学年も違う二人が、同じ8週間で、同じ方向に変わっていった。
それは、たまたまではありません。フォーマンセルという場が、そのように設計されているからです。
あなたかもしれません。
