【紹介動画はこちら】 国語小学校2年生「がまくんの手紙」 遊びの中の学び 学びの中の遊び実践報告
「おてがみ(光村図書)」で気づいた“授業と遊びを分ける”無意識
まず、私たち教師は無意識に授業と休み時間という二つの時間を分けて考えているのではないでしょうか。たとえば、授業の場面では「きちっと活動に参加してほしい」と憤っている自分。しかし一方で、休み時間になると「友達と外でワイワイ仲良く遊んでほしい!」と望んでいる自分がいる。つまり、教師の中で「学び」と「遊び」がきれいに切り分けられているのです。
分けて考える
授業=きちっと学ぶ時間
休み時間=楽しく遊ぶ時間
つまり両者は別物として扱う。
つなげて考える
学びの中に遊びがある
遊びの中に学びがある
つまり両者は重なり合うもの。
子どもが教えてくれた「遊びと学びの関係」
ところで、私の教室の子どもたちがアーノルド・ローベル「おてがみ」(光村図書・2年国語)を読んでいた時のことです。すると、ある男の子が突然、隣の席の友達にこう言い出しました。「かえるくんになりきるからインタビューしてみて」。そして、男の子はかえるくんになりきって次々と友達の質問に答えていきました。
不思議に思った私は、授業の途中で「どうしてそんなことしているの?」と聞きました。すると男の子は、こう答えたのです。
この男の子の活動は、果たして遊びでしょうか、それとも学びでしょうか。つまり、両者を切り分けることはできないのです。なぜなら、この男の子の中では学びの中に遊びがあり、遊びの中から学びが生まれるという好循環が起こっていたからです。
「学びの中に遊びがある」とは? 子どもの具体例から考える
では、「学びの中に遊びがある」とは具体的にどのような姿なのでしょうか。そこで「おてがみ(光村図書)」の実践から、もう一つの具体例を紹介します。
全文シートに気づいたことを書き込むという活動をしました。すると多くの子どもたちは、色鉛筆などを使って色分けをしながらシートに言葉を書き入れていきました。ところが、ある女の子は全文シートを受け取ると、紙をハサミで切り出したのです。
「何をするのかなぁ」と思って見つめていると、その女の子は「おてがみ」という物語に、自分でそれぞれの登場人物が考えていることを吹き出しにしていたのです。つまり、教科書の枠を超えた表現が生まれた瞬間でした。
「学びの中に遊びがある」の本質
つまり、「学びの中に遊びがある」とは、子どもが「自分らしく学んでいるとき」のことだと考えています。たとえば、次のような姿です。
- まず、これまでの学習経験を活かす。
- 次に、日常生活の中から考える。
- さらに、ふとしたひらめきがある。
- あるいは、逆に立ち止まってみる。
- そして、他の子がしていないような別の見方をする。
これらはどれも遊びにとって大事な要素です。そして同時に、学びにおいてもとても大切な観点になります。つまり、子どもが遊ぶようにして物語に触れていくうちに、自分らしい発見が生まれる。その結果、それが「学びの種」になるのです。
「遊びの中に学びが生まれる」とは? 書き込みから見える学び
では逆に、「遊びの中から学びが生まれる」とはどういうことでしょうか。つまり、ただ遊んでいるのではなく、その中に確かな学びの姿を発見していくことが大切なのです。
2人の子どもの書き込みから見える学び
ここで「おてがみ(光村図書)」の実践から、2人の子どもの書き込みを紹介します。
| 子ども | 最初の姿 | 遊び心の現れ方 |
|---|---|---|
| Aくん(男の子) | 何を書き込んだらいいのか分からない | とりあえず人物ごとに色分けして整理。試行錯誤が現れている。 |
| Bさん(女の子) | 書き込みを終えた後の発想 | 「おてがみ」の続き物語を書き始める。遊び心が働き出す。 |
「おてがみ(光村図書)」一斉授業でつながる瞬間
そして、子どもたちの学びが一つにつながる瞬間がありました。つまり子どもたちを見取っていくうちに、多くの子が登場人物の気持ちに着目していたため、私はこう投げかけて授業をスタートしました。「気持ちの分かるところに線を引いてみよう」。
すると、かえるくんとがまくん、それぞれの気持ちが、実は別々の人物なんだけどだんだん重なるように語られていることに、子どもたちが気づき始めます。そしてこの一斉授業を通じて「もしかしたら……」と次々につぶやき始めるのです。
悩んでいた男の子が見せた発見
その中で、先ほど書き込みに悩んでいた男の子は「またもう一枚ちょうだい」と言って紙を取りに来ました。そして男の子は色鉛筆で新しい図を書き始めたのです。
かえるくんとがまくん、2人の気持ちが一つになっているから、2つを1つで表したんだよ。 ― 男の子の説明
この男の子の発想には、遊び心があると同時に作品の言葉に着目したうえでの素晴らしい発見がありました。さらに続き物語を書いていた女の子も、また新しく書き直しました。つまり、手紙とSNSを対比することで、手紙ならではの良さに着目したのです。
- まず、登場人物の気持ちを色で重ねる表現。
- 次に、手紙とSNSを対比して手紙の良さを発見。
- さらに、登場人物の気持ちを図にして説明。
- そして、それらをさらに表情に分けて表現。
このように多様なかたちで、遊びの中から確かな学びが生まれていったのです。こうした学習者主体の学びは、文部科学省が示す学習指導要領の「主体的・対話的で深い学び」とも深く重なります。
先生ができる「場づくり」のポイント
では、こうした遊びと学びの好循環を生むために、教師にできることは何でしょうか。つまり大切なのは、「教える」ことより「場をつくる」ことです。
問いを工夫する
まず、子どもが「やってみたい」と思える問いを投げかける。答えが一つでない問いが鍵。
遊びを認める
次に、子どもが学びの過程で思わず出す遊びの要素を否定せず、価値づける。
場を開く
さらに、ハサミを使う・吹き出しを書くなど、子どもらしい表現方法を許容する。
つながりを見取る
最後に、一斉授業の中で個々の気づきをつなげ、クラス全体の発見へと広げる。
こうしたアーノルド・ローベル作品を活用した実践は、子どもの「ことばを楽しむ」姿を引き出す素材として、長く愛されてきました。
まとめ|「おてがみ(光村図書)」が拓く遊びと学びの好循環
🌱 この記事のポイント
このように「おてがみ(光村図書)」の授業を通して、子どもたちは遊ぶように学び、学んだことの中からさらに遊びを生み出していきました。つまりこういう好循環が生まれる授業において、遊びと学びは切り分けることはできないのです。
したがって、教師が単に「授業は学ぶ場所」と切り分けるのではなく、子どもが子どもらしく学んでいける国語授業の場を作ることが大切です。きっと、明日からの「おてがみ」の授業で、子どもたちの新たな遊び心と学びの芽が見えてくるはずです。
