理科│4年生│ものの温度と体せき

「方法」ではなく「あり方」で子どもの可能性を開く ― 私の教育実践と仲間からの学び

 何年も教育に携わると、さも自分が教師として「できてきた気がする」と感じてしまう。でもそれは間違いなく「井の中の蛙」。てらす会議でのプレゼンを経て、私が感じた教師観の揺れ。微力ながら記事として書かせていただきます。

目次

「きれいなノート」 子どもの主体をはき違えていた時代。

中学校教員時代、「きれいなノート」を高く評価していました。会議の中のフィードバックでは、その子が主体的にそういう学びをしているのであれば良いこととの指摘もいただきました。授業内容が整然と記録され、私の教えたことが美しく反映されたノート。しかし私はそれを目指せと他の子に模範として示し、同じように頑張ることを他の生徒にも求めていました。それは子どもたちの学びではなく、私が期待する形に子どもたちが適応した結果だったのではないか、と改めて内省しています。

「足りなかったのは方法ではなく、教師としての『あり方』だった」

授業てらすでプロ講師の先生方や、他の先生の授業実践を見ることで、その本質に少しだけでも近づけた気がしています。

当たり前に全員が 同じことを身に着ける。 それは本当にゴールなのか

 この数年間で、教師としての在り方を考えることになる出会いをたくさんさせてもらったと思っています。
 ある年には知能指数や学力偏差でみると、なかなかに学習が苦しいみられる子が複数学級にいました。中堅層になるにつけ、やはり他の学級と比べてしまう自分の弱さがあります。自分のクラスの平均点が低いなんて、指導力不足ではないか。そんな学級のありようで、後輩に何が言えるのか。

 弱い言葉は湧いて、湧いて、湧いてでます。

 以前の自分なら「何とかして学力を上げなければ」「来年の先生が困らないようにある程度文章が書けるようにしなければ」そんなことを考えて、叩きこむような授業をしていたことでしょう。

 でもそれは教師である自分を守る教育ではないか。

 授業てらすで教科チームや運営として関わると、様々な教育観に触れることができます。
 それって本当にその子に必要なの?その子の幸せのためにやれているの?
 理念に向かうという授業てらすのスタンスは、私に視点の変化をくれました。
 視点の変化は、子どものとらえの変化につながりました。

子どもたちのために私ができることは

 プレゼンの中で話した男の子の話はそのほんの一部です。
 文字を読むことが難しくても、書く力がなく、学びに自信を失っていても。彼らが友達と話し、意見を交わせているのなら、自分の発見や想いを伝えたいと思っているのならそれで充分ではないかと思うのです。

 今年特別支援学級の児童を受け持って、改めて答え合わせをさせてもらっているような気がします。
 全部できなくたっていい。足りないものは他で補える。

 子どもたちが本当に自分らしく自分を表現し、学校に楽しく通い、友と語らい、明日に希望をもっていること
 教師である私と、その子どもたちとが、お互いに出会えてよかったと思えたらそれでいい。

「ためしたい」が止まらない教室を目指して

 「面白がる」
 これが私の中の一つの芯です。

 理科という学びは、広げ方次第でいくらでも面白がれる。そう確信しているからこそ、私は理科屋を名乗らせていただいています。
 私の授業実践の核心は、子どもたちの好奇心を解き放つことにあります。4年生の理科授業「熱による体積の変化」では、思い切って構造化された授業展開を捨て、子どもたちに「試したいことを全部試してみよう」と投げかけました。

 熱湯を使う子、氷で冷やす子、フラスコを擦ってみる子。
 試行錯誤と発見の興奮で満ちた空間が生まれ
「自分の発見を誰かに伝えたくてたまらない時間」――それこそが、私が目指す学びの姿でした。

 学びは思い切り広げればいい。

 ともすれば私たちは、子どもたちの思考の風呂敷を広げすぎることを怖がります。
 こんなに広げて、どうまとめるのだろう?
 こんなにたくさんのアイデア 確かめきれない。
 本気か、不真面目かわからない。

 でもそんなものは子どもたちと決めればいい。
 あふれたアイデアは形にしてみればいい。
 たくさん失敗すればいい。

 自分の思いついたアイデアを、大人になってもワクワクしながら試すような、キラキラした目の大人になってほしい。
 心からそう思います。

仲間からの問いかけが教えてくれたこと

発表後、仲間たちから貴重なフィードバックをいただきました。

ケンタロウさんは、中学校から小学校への文脈の変化や、受験や校則といったシステムの圧力にどう向き合うかという現実的な課題を投げかけてくれました。確かに、理想だけでは語れない構造的な問題があります。それでも、私たち一人ひとりの「あり方」が変わることで、システムに風穴を開けられるのではないか――そう信じています。

タツロー代表は、私の情熱的な語りを評価しつつ、「きれいなノート」にも意味があるが、その「なぜ」と学びへの驚きこそが重要だと指摘してくれました。そして、学校システムの中で失われがちな子どもたちの自然な好奇心を守ることの大切さを強調してくれました。

未来の教育に向けて、私たちができること

今回の私のプレゼンは、道半ば、積み上げ切れていないものを話しています。
ですが、授業てらすに投げ、返ってくるフィードバックは常に私に「もっと教育をやってみたい。」そんな熱をくれます。

教育の本質は「どう教えるか」のハウツーではなく、教師として「どう在るか」にある。仲間たちとの対話を通じて、その思いをより強くしました。
これからも、子どもたちの「ためしたい」を止めない教師でありたいと願っています。

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