「ものの温度と体積(学校図書)」で気づいた“きれいなノート”の落とし穴
「ものの温度と体積(学校図書)」を語る前に、まず成田先生自身が大きく揺さぶられた経験から振り返ります。なぜなら、この経験こそが「子どもの可能性を開く理科授業」の原点だからです。
中学校教員時代、成田先生は「きれいなノート」を高く評価していました。つまり授業内容が整然と記録され、教えたことが美しく反映されたノートを「良いノート」として位置づけていたのです。そしてそれを他の子どもにも模範として示し、同じように頑張ることを求めていました。
しかしこれは、子どもたちの学びではなく、教師が期待する形に子どもが適応した結果だったのではないか――つまり、足りなかったのは方法ではなく、教師としての「あり方」だったのです。
そこで授業てらすでプロ講師の先生方や、他の先生の授業実践に触れることで、その本質に少しずつ近づいていけたと成田先生は語ります。このように、自分の「当たり前」を疑うことから、本当の授業づくりは始まるのです。
「同じことを身につける」は本当にゴールなのか
ところで、成田先生はかつて「全員が同じことを身につける」ことをゴールと捉えていた時期がありました。たとえば、学習が苦しい子が複数学級にいた年。つまり他の学級と平均点を比べ、「自分のクラスの平均点が低いのは指導力不足ではないか」と弱気な言葉が湧き続けたといいます。
以前の成田先生なら、「何とかして学力を上げなければ」「来年の先生が困らないように、ある程度文章が書けるようにしなければ」と考え、叩き込むような授業をしていたかもしれません。しかし、それは本当に子どものための教育でしょうか。
つまりそれは、子どものためではなく、「教師である自分を守る教育」になってしまっていたのではないか。その結果、子どもの「らしさ」が削がれていく可能性すらあるのです。
守りの教育
全員が同じことを身につける。
つまり「教師である自分」を守るための一律な授業。
開きの教育
子どもが自分らしく表現する。
つまり「その子の幸せ」を中心に据えた授業。
子どもたちのために本当にできること
そして授業てらすで教科チームや運営として関わる中で、様々な教育観に触れた成田先生は、こう自問するようになりました。「それって本当にその子に必要なの? その子の幸せのためにやれているの?」すると、視点の変化が起き、子どものとらえ方そのものが変わっていきました。
- まず、文字を読むことが難しくても、書く力に自信がなくても、友達と話し意見を交わせていれば充分。
- そして、自分の発見や想いを伝えたいと思っていれば、それでいい。
- つまり、全部できなくたっていい。足りないものは他で補える。
こうした考え方は、文部科学省が掲げる学習指導要領の「個別最適な学び」の理念とも深く重なります。
「ものの温度と体積(学校図書)」で実践した“面白がる”授業
では、その「あり方」を踏まえて、成田先生は「ものの温度と体積(学校図書)」の単元をどう実践したのでしょうか。そこでキーワードになるのが、たった一つの言葉――「面白がる」です。
「熱による体積の変化」で授業の構造を捨てた
4年生の理科授業「ものの温度と体積(学校図書)=熱による体積の変化」で、成田先生は思い切って構造化された授業展開を捨てました。つまり、子どもたちに投げかけたのはたった一つの問い。「試したいことを全部試してみよう」。
すると、教室には試行錯誤と発見の興奮で満ちた空間が生まれました。そして成田先生が目指したのは、こんな時間だったといいます。
自分の発見を誰かに伝えたくてたまらない時間――それこそが、成田先生が「ものの温度と体積(学校図書)」の授業で目指した学びの姿でした。
学びは思い切り広げればいい
ところで、私たち教師はともすれば、子どもたちの思考の風呂敷を広げすぎることを怖がります。たとえば、こんな不安です。
- まず、こんなに広げて、どうまとめるのだろう?
- 次に、こんなにたくさんのアイデア、確かめきれない。
- そして、本気か、不真面目かもわからない。
しかし、成田先生はこう語ります。「そんなものは子どもたちと決めればいい」「あふれたアイデアは形にしてみればいい」「たくさん失敗すればいい」――つまり、教師が一人で抱え込む必要などないのです。
仲間からの問いかけが教えてくれたこと
さて、このプレゼン発表後、成田先生は仲間たちから貴重なフィードバックを受け取りました。たとえば、以下のような問いかけです。
| フィードバックした人 | 問いかけの内容 |
|---|---|
| ケンタロウさん | 中学校から小学校への文█ |
